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『大阪で生まれた女』の生きてきた時代 (号外)

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このシリーズを書き始めたとき、こんな展開を予想していたわけではない。
しかし、やはり、時代は、確かにこの歌を求めていた。

時代に翻弄されない音楽・・
時代に古びない音楽・・
そしていつの時代にも輝きを失わない音楽・・

今の若者達が、「大阪で生まれた女」に共感し、「大阪で生まれた女」を愛し、「大阪で生まれた女」を求めている。

大阪出身のヒップホップ歌手BAKI氏(25)が、シングル『大阪で生まれた女 feat. RSP(Ai)』をリリースしたのだ。 

詳細については、ぜひ次の記事をご覧になっていただきたい。

http://mainichi.jp/enta/music/interview/news/20100129mog00m200071000c.html
[毎日新聞2010年2月2日付 『音魂』]

http://www.barks.jp/news/?id=1000057730
[ ミュージック エンタテインメント サイト 『バークス』]

これらの記事からは、この歌と、そしてBOROへの若い世代からの深いリスペクト(尊敬)が伝わってくる。

BAKI氏は、テレビで語っていた。
「大阪の文化を残したいんや!」・・・と

BOROはその言葉を聞きながら思った・・・。

「そうかいな~ 残してくれるんかいな~ おおきに~すんまへん!」

大阪で生まれた女の生きてきた時代・・・

30年の時の流れの中で、やはり『大阪で生まれた女』ずっとずっと輝き続けている。

(この号おわり・シリーズはつづく)

〔データファイル〕
※ クラウンレコードの公式サイトのBAKI氏のページでは、楽曲の試聴、PV(プロモーションビデオ)視聴が出来ます。
http://www.crownrecord.co.jp/artist/baki/whats.html

『大阪で生まれた女』 の生きてきた時代(6) その3

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アルバム『モスクワの仔猫』をプロデュースした大輪茂男氏が演出を手がけた、梓さんのリサイタル

そのラスト20分。

 ただでさえ、ドラマチックな『モスクワの仔猫ちゃん』が、戦禍のモスクワを描いたミュージカル仕立てで演奏された。

 迫り来る感動に、客席はドンドンひきこまれていく・・。
 やがて、曲は佳境に入り、エンディングへ・・

 ♪・ワシは長くない・・・♪

 余韻を残し、一瞬音が消え、ステージが暗転する。

 その間・・約3秒。

 歌い終えた梓さんの瞳から大粒の涙が、ボロボロボロとこぼれ落ちる。
 その瞬間、客席はハンカチを取り出し、嗚咽する声を押し殺すように涙をぬぐう人の姿であふれた。

 BOROも・・その客席で、胸を熱くしていた。
 感動と、感謝と、歓喜と・・
 それを、梓さんに伝えたかった・・・。

 楽屋は通路まで人でごった返していた。しかし、BOROが通ると、皆が道を空けてくれた。

 楽屋の中も幾重にも人垣が出来ていた。梓さんは楽屋の鏡越しにBOROを見つけた。

 BOROは、楽屋の入り口に立ち、胸にあふれる思いを言葉にしようとした。
しかし、それは声にはならず、大粒の涙となってその目からあふれだした。

 梓さんは、そのBOROの涙を・・、BOROの思いを・・、鏡越しにじっとみつめ、何度も何度もうなずいた。

 BOROの涙がとまることはなかった。BOROも何度も何度もうなずいた。

 一言も言葉を交わさず、BOROは、深く一礼をしてその場を後にした。

 楽屋も廊下も静まりかえっていた。 確かに、時が止まっていた。
 それは永遠に感じたが、おそらくほんの数十秒だったのだろう。
 その時間と空間は二人のアーティストのためだけにあった。

(この章 おわり。シリーズはつづく)

[データファイル]

※「モスクワの仔猫ちゃん」は、梓さんだけでなく、シャンソンのスタンダードとして、他のアーティストにも歌い継がれています。
(上記写真はそのジャケット)

[モスクワの仔猫ちゃん収録アルバム]
・西山伊佐子さん(シャンソン歌手)
『心はパリ~Je suis amoureuse de Paris~』(1997.10.29発売)
・松本かずこさん(シャンソン歌手)
『モスクワの子猫ちゃん』(2005年発売)

※【速報】3月発売のBOROの30周年記念ベストアルバムに、BORO本人が歌う『モスクワの仔猫ちゃん』が新録音で収録されます。
お楽しみに!!

『大阪で生まれた女』 の生きてきた時代(6) その2

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夜中に、BBB出石スタジオ(兵庫県出石)の電話が鳴った。

『BORO~。今、歌入れが終わったよ~。感動的だったよ~。』

 受話器の向こうから、聞こえてきたのは、アルバム『モスクワの仔猫』のプロデューサー大輪茂男氏の弾んだ声だった。

『チョットみちよちゃんに代わるね~。』

 そう・・、大輪氏の傍らには、東京のスタジオで、今レコーディングを終えたばかりの、梓さんご本人がいたのだ・・。

『BOROさん・・歌い終わったわよ・・・』

『やっと・・今日・・歌い終わったわ・・・。涙があふれてきて歌えなくなるから・・・。今日も何度も、音を止めて貰って・・・ でも、やっと今、 終わって・・・。』

梓さんの声は、すべてを出しきった充実感にあふれていた。

『私の35年間の歌手生活の中で、あんなに涙がこぼれて歌えなかったことはなかった。何度も何度もトライして・・・ 。泣けて泣けて・・歌えなくて・・・。一番難しい歌でした・・・。』

『いい歌を、有難う!!! 本当に有難う!!!』
 その言葉は、何度も何度も、繰り返された・・・。

『ねえBOROさん・・・ 今から来ませんか?』

 BOROは、一瞬耳を疑った。

 ここは、兵庫県の出石の山の中。しかも今は、真夜中。バスも電車も走っていない。どんなに急いでも、東京まで半日はかかる。

 『今からタクシー飛ばして来ない? いくらかかっても私がお金出すから。』
 『まってるわよ。ちょうど昼頃につくわね・・。』 

 梓さんは本気だった。

 【マイ・ソング ジャスト・マイ・ライフ】- 私の歌は、私の生命

 命を削るような想いで、歌に命を吹き込んだ梓さん・・・。
 そして歌い終えた喜びを、どうしてもBOROと分かち合いたい・・・。

 痛いほどにその思いが伝わってきた。

 受話器を握りしめ、BOROは胸を熱くしていた。

 歌い継がれる名曲が生まれた、ある夜の出来事である。

(この章、まだつづく)

『大阪で生まれた女』 の生きてきた時代(6)その1

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 BOROが「大阪で生まれた女」をリリースした年、日本専売公社(現・JT)『パートナー』のCMソング『よろしかったら』をヒットさせたのは、梓みちよさんである。

 1962年、19歳で渡辺プロダクションに入った梓さん。しかし、宝塚歌劇団で声楽やバレエを基礎から学んだ梓さんを、本格的な歌手として大きく育てようとした渡辺プロは、さらに、ジャズやモダン・バレエのレッスンを続けた。その結果、レコードデビューまでに、実に一年余りを要している。生来の才能をより磨きあげ、満を持してのデビューだった。

 当時、日本の音楽界は、洋楽のカヴァーが全盛。田辺靖雄さんとデュエットした「ヘイ・ポーラ」は、彼女の折り紙付きの歌唱力とその時代をとらえた企画で大ヒットを記録する。

 続く1963年7月。NHK番組『夢であいましょう』で紹介された「こんちには赤ちゃん」は大反響を呼び、11月1日にはレコード発売。100万枚を超える空前の大ヒットとなる。年も押し詰まった11月発売にもかかわらず、日本レコード大賞受賞、NHK紅白歌合戦初出場という快挙を成し遂げた。

 この時BOROは9歳の小学生。将来、自分がこの人に楽曲を提供することになるなど知る由もなく、テレビをみつめていた・・。

 この曲により、梓さんは、名実ともに”国民的歌手”となった。
 そして70年代以降「大人の女性」へとイメージを転換し、「二人でお酒を」を大ヒットさせ「メランコリー」「よろしかったら」などのヒットを飛ばしていく。

 その後、歳を重ねるとともに、梓さんの世界は大きな広がりを見せていく。
 JPopから歌謡曲・タンゴそしてシャンソンなど、幅広いジャンルの歌をどんどん取り入れ、新たな”梓ワールド”を作りだしている。
 良い歌は、古い歌でも後輩の歌でも関係なく歌っていきたい。という懐の深さが、その世界を押し広げていったのだ。

 そんな時代の梓さんの世界をうかがい知ることが出来るアルバムがある。
 
 BOROがその表題曲を提供し、1997年リリースされた『モスクワの仔猫』である。

【収録曲】
1 インシャラー
2 愛の落書き
3 酔いどれ天使
4 砂のゴンドラ
5 紫のバラ
6 誕生日
7 かざぐるま
8 モスクワの仔猫ちゃん
9 アモール・ミオ
10 地図にない停車場

 松山千春氏、渡辺えり子氏、という個性的な作家陣とともに、BOROは表題曲
「8 モスクワの仔猫ちゃん」
「10 地図にない停車場」の2曲を提供している。

 シャンソンを基調にしながら、フォークソングやロックの要素も取り入れ、ジャンルにとらわれず、質の高い音楽を生み出そうとする姿勢がこのアルバムにはあふれている。

 そのジャケットの帯には「マイ・ソング ジャスト・マイ・ライフ」と記されている。

(つづく)

30周年記念民音コンサート大盛況で幕

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1月13日
この日、天気予報では発達した低気圧の影響で、西日本から東日本の広い範囲で、暴風や大雪の警戒が出されていた。

しかし、コンサートを断じて大成功させよう!とするBOROと、最強のBOROチームの意気込みと気迫が通じたのか、天気予報を覆し、心配された雪は降らず、守山市民ホールには満員のお客様。

この追加コンサートで、ひとまず区切りとなる「不老不死な物語」。

このステージを、BOROとメンバーは最高に楽しみ切りながら、しかも全力投球の演奏と歌で観客の心を満たしていく。

今や、BOROの一つのスタイルとして確立された感がある味わい深いトークに、観客は腹の底から笑い、感動の涙を流し、納得のうなずきをみせる。

BOROが伝えたかった”不老不死の心”は、ひたひたと観客の心に沁みこんでいる!

帰路につく観客の笑顔また笑顔・・・

その笑顔を見送り、楽屋にもどったBORO。

「ふ~」っと深い息をして、BOROに やっと安堵の笑顔がほころんだ。

守山市民ホールに向け万全のリハーサル

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1月8日

澄みきった空に ピーンと凍てついた高原の空気。

新年早々、音符工房にはその空気を一変させる程の熱気が満ち溢れた。

スタッフとミュージシャンが、守山市民ホールのリハーサルの為に嬉々として集ってきた。
(守山市民ホールは、おかげさまでソールドアウト)

そして早速、本番か・・・と思うほど真剣そのものの 念入りなリハーサルが行なわれた。
しかも終始にこやかに・・・。

この日は、SHOさんと奥さんのサリーさんからBOROに「ムーン カレンダー」がプレゼントされ、月が大好きなBOROは大喜び!!

リハーサルが終わり、解散する時、ミュージシャンもスタッフも、当日の大成功を誓い合った!
熱い 熱い握手を交わして・・・。

富士の雄姿

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2010年 1月2日

深い決意を秘め、己が使命の道をひた走る!

  人々の心深くに沁み入る歌を

    生きる希望が湧き出る歌を

     BOROにしか生み出せない歌を創るために

         BORO始動!

寒風に悠然とそびえる富士を仰ぎ、BORO!エンジン全開!!

(写真は2010年1月2日の富士山・撮影BORO)

BOROが熱く語った”使命”の話

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11月30日

芦屋ルナ・ホールで行なわれた芦屋市人権推進協議会主催の講演会には、教育関係者や芦屋市民の方々が多数参加し、BOROの「愛ある使命な物語」に熱心に耳を傾けた。

今回の講演は、今年の2月、伊丹市の人権講演会を聞いた芦屋市人権推進協議会の方が、「是非 芦屋市でもやりたい!」と実現したもの。

齋藤会長は、「私は伊丹の人権講演会にも、加古川のひょうご人権フェスティバルにも行って、BOROさんの人権講演の追っかけをしていますよ。今日もまたBOROさんのお話から新たな発見がありました」とにこやかに語られた。

BOROは、自分の思いを自分の言葉で率直に語る。
「みんなで不幸探しをやめて、幸せ探しをしようよ!
 自分の命を、人の為に使おうよ!
 そうしたらもっとやさしい社会になるよ」と。

早速、次のレコーディング始まる!

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来年の3月、ユニバーサルミュージックから、30曲入りでBOROのデビュー30周年記念ベストアルバムがリリースされることになった。

その中に新曲2曲を入れるため、11月24日に早速レコーディングが開始された。

ベース・天野SHO、バイオリン・シーナきのはら、ドラム・五十川清。
気心の知れたメンバーが、意気揚々と集ってきた。

この日は、音楽プロデューサーの大輪茂男氏も東京からわざわざ来てくれて、さり気なくそして的確にアドバイスをしてくれる。

メンバーのテンションは最高。
このメンバーで大好きな音楽が出来ることが幸せで、集うことが楽しくて楽しくて仕方がない・・・とシーナが、皆の心を代弁するかのように にこやか語る。

30周年の後半戦へ向け、BOROはまた全力で走り始めた!!

BORO みどり丘幼稚園の秋まつりへ

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11月19日午前

BOROは、紅葉に彩られた山道を能勢町に向かって車をとばした。

島田紳助さんのテレビ番組で何度も話題になったことがあり、知る人ぞ知る みどり丘幼稚園(BOROが園歌を作った幼稚園)の秋まつりがあると聞いたからだ。

BOROは以前から、子ども達が園歌を歌うところを見たい!とずっと希望していたのだ。

晴れわたった秋空の下、グランドには園児たちとその家族が沢山集まっていた。
突然のBOROの来園に、親御さんの方が大喜び!

園長先生のたっての希望で、急きょBOROもギターを持って園児達とみどり丘幼稚園 園歌を熱唱。
  
  大きな声で Hey Hey Hey
  すてきな えがお
     みどり丘のお空にむかい Hey!
   
  きれいな花に Hey Hey Hey
    よびかけながら
     みどり丘に集った Hey !
  
  けんかはやめて Hey Hey Hey
     なかよくあそぼ
      みどり丘のお空の下で Hey !

  世界にひびけ Hey Hey Hey
      大きな希望
       みどり丘の元気な子ども Hey !

      (BORO作詞・作曲 みどり丘幼稚園 園歌より抜粋)

少子化で、どこの幼稚園も大変な中、みどり丘幼稚園は年々希望者が増え続けている評判の幼稚園だ。
うれしいことに、園長先生はBOROの作った園歌が幼稚園の誇りだと言って下さる。

教室を見学して園児達と遊んだり、園長先生たちと懇談したり・・・コンサートで緊張の日々が続いたBOROにとって、心がゆったりほっこりした楽しい一日でした。

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