平和の使者との絆  2022/05/19
 
兵庫県立出石養護(特別支援)学校の生徒たちとの共演で10年間にわたって開催してきた「ふれあいコンサート」。
BOROは彼らを「平和の使者」と呼んだ。
(つづく)

「ふれあいコンサート」の記録(Facebook)へ


 
 


出会い 
 
1991年の夏。

BOROは難病患者である綾佳ちゃんと出逢う。

話を聞くと、綾佳ちゃんは、BOROと同じ伊丹市内に住んでいるとのこと。
そして、そのご両親から『綾佳の生きた証になる歌を作って欲しい』と頼まれた。

この出会いが、『AYAKA基金』の始まりだった。

(つづく)

綾佳ちゃんとの出逢い by BORO


『AYAKA MY LOVE』 
 
そんな出来事から綾佳ちゃんとの交流が始まった。

BOROの家での「たこやきパーティー」
綾佳ちゃんの授業参観
みんなでキャンプにも行った。

やがて、“綾佳ちゃんの歌”が何曲も出来上がり、その中で綾佳ちゃんが一番好きな曲『AYAKA MY LOVE』を、CDアルバム「慈愛」の中にレコーディング。

その印税の全てを難病克服のために使ってもらおうと考えた。

(つづく)


『AYAKA基金』の設立 
 
そのうち、今まで知らなかった事が、わかり始めてきた。

綾佳ちゃんの病気は原因も治療法も解っていない病気であること。

それを研究している医師も少なく、その研究には莫大なお金が必要であること。

BOROは医者ではない。しかし、歌を歌って募金活動やメッセージを伝えることはできる。

そんな思いが日に日に強くなり、93年6月、多くの善意の方々に支えられ、『AYAKA基金』は設立された。

(つづく)


ミュージシャンズ・カーニバル 
 
BOROの“難病克服への思い”に共感を寄せるミュージシャンたちが集まり、一人でも多くの方に難病の現状を知ってもらい、“希望のネットワーク”を拡げていくために開催されているコンサート。

健常者も障害者も同じステージの上に乗り音楽を楽しんでいる姿から、本来のバリアフリーのあり方が見えてくる。

1993年に兵庫県伊丹市で行われたのをかわきりに、2007までに、計19回の「ミュージシャンズ・カーニバル」が開催され、大きな波動を生んだ。

(つづく)


シンガーソングライター”多々良 誠”氏 
 
ミュージシャンズ・カーニバルには、シンガーソングライターとして活動を続けている“多々良 誠”さんも駆けつけ、難病理解を体験を通して自然なかたちで呼び掛けてくれている。

彼の前向きな姿勢は、それだけで、参加者に勇気と希望をプレゼントしてくれる。

(つづく)


ミュージシャンズ・カーニバル参加グループ 
 
ステージには、「車椅子ダンス」「難聴者の太鼓グループ」など、共感をしてくれる障害者団体も積極的に出演。

皆、日頃の練習の成果を発表する場として、大いに楽しんでいるだけではなく、観客の皆さんとも交流をはかり、会場中をバリアフリーの心で満たしてくれた。

(つづく)


募金活動 
 
ミュージシャンズ・カーニバルなどのコンサートや、街頭で募金活動を展開。

BOROのメッセージを心に刻みながら、真心の募金を箱の中へ。
また、『AYAKA基金』の口座には、善意の募金が振込まれ続けている。

これらの真心が、やがて大きな力となることを信じ、訴え続けている。

(つづく)


20,000人の署名 
 
『AYAKA基金』に共感した仲間たちと共に、難病撲滅にむけて研究機関の充実を目指す署名運動を展開。

青年たちを中心に、20,000人もの方々からの署名が集まった。
今まで、難病に関心のなかった青年たちが、『AYAKA基金』を通して、難病撲滅を語り合いながら集めた署名の束は、この上なく尊いものとなった。

この署名は、国会と厚生大臣(当時)へと届けられた。

(つづく)


子供たちからの感想 
 
BOROから『AYAKA基金』の話を聞いた子供たちから、多くの感想が届けられた。
その中には、BOROの呼び掛けに応え、
「僕は将来野口英世の様なお医者さんになります」
「私はナイチンゲールの様な看護婦さんになります」
との言葉が...。

未来を担う子供たちの心にも、間違いなくBOROのメッセージは届いている。

(つづく)


AYAKA基金10周年記念アルバム『AYAKA10』 
 
2003年にリリース

AYAKA基金設立10周年を記念して、BORO、TARA、風香、3人のボーカリストが共演。
TARAも風香もBOROがAYAKA基金の活動の中で出会った車いすのボーカリスト。

綾佳ちゃんが繋いでくれた出会いが生んだ、希望のアルバム『AYAKA10』

(つづく)


小泉厚生大臣、津島厚労大臣、坂口厚労大臣に募金を届ける 
 
『AYAKA基金』で集まった真心の募金は、歴代の厚生労働大臣に届けられた。

1997年8月には、小泉厚生大臣(1回目)
2000年に津島厚生労働大臣(2回目)
そして、
2001年、2002年、2003年には、坂口厚生労働大臣に(3、4、5回目)届け、難病撲滅へ向けての熱い思いを伝えた。

ひとり一人の小さな真心が、難病撲滅実現への大きな力となっていく。

(つづく)


尾辻厚労大臣、柳沢厚労大臣、舛添厚労大臣に募金を届ける 
 
ひきつづき歴代の厚生労働大臣に真心の寄付金を届けた。

2004年 尾辻厚生労働大臣(6回目)
2006年 柳沢厚生労働大臣(7回目)
2007年、2009年 舛添厚生労働大臣(8回目、9回目)

冬柴衆議院議員(公明党幹事長・国交大臣)は初回より毎回同席、赤羽一嘉議員も同席のもと、寄付金はその場で、国立精神・神経科学振興財団の里中会長、国立精神・神経センター武蔵病院名誉院長に手渡された。

埜中先生からは「真心の浄財で病気の解明が進み、筋ジスの治療法もめどが立つようになった」と感謝の報告。

歴代の大臣は、BOROの言葉に静かに耳を傾け、難病撲滅への協力を力強く約束した。

(つづく)


首相官邸にて安倍首相立会いのもと募金を届ける 
 
2013年(10回目)と2018年(12回目)の2回にわたり、首相官邸に安倍首相(当時)を表敬訪問し、AYAKA基金の真心の寄付金を届けた。

訪問には赤羽一嘉経衆院議員と国重徹衆院議員が同席。

募金は公益財団法人「精神・神経科学振興財団」の埜中征哉理事に手渡された。

席上、安倍首相は、20年以上にわたる同基金の活動に謝意を表し、

「BOROさんのような方にやっていただけると励みになる」

と称賛。難病対策に関しても「充実させていく」と強調した。

(つづく)


AYAKA基金で集まった募金を、iPS細胞研究基金へ寄付 
 
2017年、京都大学・山中伸弥教授のiPS細胞研究基金の周知広報の歌『しあわせのおくりもの』を製作。

翌2018年(AYAKA基金設立25周年)には京大iPS細胞研究所を訪れ、11回目の募金をiPS細胞研究基金に寄贈するとともに、『しあわせのおくりもの』などの歌を披露した。

BOROは「山中教授も基金周知のためにずっとマラソンに出場されている。私も共に走りたい」と支援を誓い、「難病克服は全人類の願い。研究を続け、頑張っていただきたい」とエールを送った。

山中教授は寄付に感謝するとともに「僕は大阪生まれの大阪育ち。大好きな“大阪で生まれた女”を生んだBOROさんに曲を作っていただけて夢のようです」と声を弾ませた。

(つづく)


『AYAKA基金』で出版された医学書 
 
BOROが届けた真心の募金は、「精神・神経科学振興財団」を通して、筋ジスをはじめ難病の撲滅に向けて役立てられている。
また、研究書である「筋ジストロフィーは、ここまでわかった Part2」は、『AYAKA基金』の募金によって発刊され、その奥書きには下記の様に記されている。

『AYAKA基金』
綾佳ちゃんは兵庫県在住であった先天性筋ジストロフィーのお子さんです。9歳で短い人生を閉じられました。生前、綾佳ちゃんを偶然に知ったBOROさんは筋ジストロフィーの原因の解明と治療のために自分の音楽活動で得たお金の多くを「AYAKA基金」として役立ててこられたのです。BOROさんの心暖かいお申し出によりその基金の一部をこの出版に使用させて頂きました。ここに厚く御礼申し上げます。